初代南極観測船『宗谷』はここに生きていた

 
 臨海副都心にある船の科学館が9月30日までで休館に入り、その前に視覚障害者を主な対象とした「さわれる模型体験会と「海と船のおはなし会」の催物があるので行って来ました。
http://www.funenokagakukan.or.jp/


画像



 また、昔の青函連絡船であった「羊蹄丸」も、この科学館の岸壁から離れてここでは見られなくなるので、この船の見学もして来ました。

 ところがです、羊蹄丸を見学しようと岸壁に出ると、そこには何と、あの南極観測船の「宗谷」も岸壁に接岸してるとのことでした。

 もう50何年か昔になりますが、南極観測船の宗谷にまつわって、いろいろなことが思い出されました。

 初めての南極行きで、宗谷が氷に妨げられながら、やっと南極に到達したり、越冬できず樺太犬を置いて来ざるを得なかったり、また、翌年にその樺太犬のタロとジロが生きていたり、で、感動させられました。

 また、その宗谷が氷に閉じこめられ、旧ソ連の最新鋭の砕氷船オビ号に助けられたり、あるいは、福島隊員が、建物から少し離れただけで、南極の激しい雪で方向を見失い遭難したりの悲しいニュースもありました。宗谷のことについては、この後にも少し書かせていただきます。


■さわれる模型体験会と「海と船のおはなし会」
http://www.funenokagakukan.or.jp/news/?p=807



画像



画像



 催物は、勝海舟が幕末に渡航の時に乗った咸臨丸やペリーの黒船などの模型に触れたり、日本の航海練習船で大型練習帆船の「日本丸」の元船長のお話もあり、その後に絵本の読み聞かせがあったりで、それなりに楽しかったです。




■羊蹄丸
http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/yoteimaru.html


画像



画像



 羊蹄丸は、総トン数 8,311.48トン 、全長 132.00m、型幅 17.90mの青函連絡船であったということで、船尾から3本の引き込み線路があり、中に入ると模型の列車の客車並んでいるのを見ました。
この船も見られなくなるということで、時代の変化をしみじみと感じました。




■宗谷
http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html


画像




画像



画像



 前にも述べましたが、この「船の科学館」の見学で、思わぬ船と巡り会いました。
 それは、日本初の南極観測船「宗谷」でした。
 宗谷は、羊蹄丸に並び、科学館の岸壁に接岸していました。

  宗谷の中は見学することが出来ます。船の科学館が休館になっても、この宗谷は見学ができるそうです。

  船首から船室に入り、船の中を見学コースに従って見てきました。

  こんな小さな船でよく南極を何回も往復したことかと、実際に宗谷に乗船してつくづく感心しました。

  船の中には、暑さに弱い樺太犬のための冷房室もありました。


 
画像




画像




 私は宗谷には、いろいろな記憶があります。

 今から55年前の昭和31年に、宗谷は、南極観測に出掛けました。その時の私の知識は、海上保安庁の船で、外国の観測船に比べて小型であり、南極の航海は無理かもしれないとは聞いていました。しかし、敗戦からやっと10年ぐらいの当時の日本の経済力ではどうにもならなかったようです。それでも、国際地球観測年ということで、当時の学者が、やはりこの世界が協力する観測年に参加せざるを得なかったようでした。

 そして、反対はありましたが、国を説得するなどの苦労の結果、やっと南極観測船を出航させることができました。
 昭和31年11月に出港し、赤道を通過し、南極圏に入り、氷山の間を通り、やっと南極大陸ににたどり着いたというニュースを覚えています。

 上陸して越冬のための建物を作り、昭和基地となりました。そして、11名の隊員が初めて越冬しました。

 私の記憶では永田観測隊長と西堀栄三郎越冬隊長の名をよく耳にしました。

 この初期の何年かの宗谷の南極への往復の間に、何度も、はらはらさせられたり、ほっとしたりの連続でした。

 それから50年、南極観測船は、「富士」、そして「しらせ」となり、日本の昭和基地が、南極のオゾン層を発見し、人類に貢献しています。
 時代の変化をしみじみと感じさせられます。




<参考>
●船の科学館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E9%A4%A8
【船の科学館(ふねのかがくかん Museum of Maritime Science)は、1974年(昭和49年)7月に竣工・開館した東京都品川区東八潮の東京臨海副都心にある博物館。2011年9月30日を以て大半の施設が#休館(閉館に近い状態)となる。】

●羊蹄丸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8A%E8%B9%84%E4%B8%B8
【建造にあたり船体の長さが設計よりも少しでも縮むことは許されなかった。何故なら当初の設計よりも少しでも短くなるとそれに伴い船内有効レール長が縮むこととなる。それは有蓋貨車の規格上、積載貨車数が減少することを意味する。そこで桜島工場では早い時期から細かな縮み防止策を立て、細心の注意を払いながら工事を進めた結果、設計通りの寸法で完成することとなる。なお公称車両数は、左舷レールから、ワム車換算で12両、14両、10両、12両の合計48両積みである。】

●宗谷(船)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E8%B0%B7_(%E8%88%B9)
【1956年(昭和31年)11月8日 日本は国際地球観測年に伴い南極観測を行うこととなり、南極観測船が必要となった。国鉄の宗谷丸などの候補が選定され、砕氷能力や船体のキャパシティは宗谷丸のほうが勝っていたが、改造予算の問題や耐氷構造、船運の強さを買われ、宗谷が南極観測船に選定される。】

●昭和基地
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%9F%BA%E5%9C%B0
【昭和基地の歴史は、ほぼそのまま日本の南極観測の歴史でもある。
1951年(昭和26年)に国際地球観測年が提唱されると、日本はこれに参加を希望した。当初、赤道観測を行う予定であったが、予定地の領有権を持つアメリカの許可が出ず、1955年2月、南極観測に切り替え、12か国による共同南極観測に参加した。本来は2次で終了する予定であった。準備期間が短く、観測船「宗谷」も旧船を急ぎ改造したものであった。観測隊出発まで基地の場所は決まらず、決定は隊長に一任されていた。】