長谷川貞夫の視覚障害とユビキタス情報バリアフリー

アクセスカウンタ

zoom RSS 岡山市の「点字ブロック発祥の地」記念碑に触れて来ました

<<   作成日時 : 2010/10/12 23:51   >>

トラックバック 0 / コメント 0

 私は全盲ですが、毎日、外出においてどれほど点字ブロックの恩恵を受けているか分かりません。

 全国の視覚障害者も外出なしで職業生活も日常生活も不可能と考えます。
 点字ブロックは、その視覚障害者の外出を支えています。

 本年3月18日に、岡山県立岡山盲学校近くの国道250号線の原尾島交差点の傍で、ここに日本で最初の点字ブロックが敷設されたことを記念する碑の建設の祝賀会が開かれると聞いて、岡山視覚障害者協会に祝電を送らせていただきました。

 そして、いつかこの記念碑を実際に触れに行きたいと思っていましたが、昨10月11日にその念願がかない、この記念碑と岡山盲学校を見学してきました。
 

画像



<山陽新聞から>
■点字ブロック発祥の地で記念碑除幕
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010031822432098/

−− 引用 −−

 1967年、全国で初めて路上に点字ブロックが設置された岡山市中区原尾島にモニュメントが完成し、設置記念日の18日、約200人が出席して除幕式が行われた。

 モニュメントは、「点字ブロック発祥の地」と刻字した御影石製の塔(高さ2メートル)、「世界初敷設場所」と記した石板(縦30センチ、横60センチ)など5点。

 県視覚障害者協会や住民、市民団体などで組織する「点字ブロック発祥の地モニュメント設置実行委員会」が国道250号交差点近くに設置した。

 式では、竹内昌彦実行委員長が「点字ブロックは岡山の誇り。視覚障害者にとって大事なものであることを知ってもらいたい」とあいさつ。県、主催者代表や岡山盲学校(同所)の生徒らが除幕し、完成を祝った

−− 引用終了 −−




画像





画像





 私はその場所に立って、碑に刻まれた文字や点字の説明、そして当時の点字ブロックそのものに感慨深く触れていました。

 すると、そこに先程、岡山駅に到着したところで、電話で記念碑の場所をお尋ねした岡山県視覚障害者協会の釜付滋弘(かまつき しげひろ)さんが駆けつけて来てくださり、いろいろと親切に説明して下さいました。


画像



 

 点字ブロックは、開発者の三宅氏の努力にもかかわらず、初めはなかなか普及しませんでした。

 しかし、昭和48年に東京・山手線高田馬場駅における上野孝司さんのホームからの転落死亡による、いわゆる「上野訴訟」により、当時の国鉄がホームの安全施設の不備を認め、施設の充実を約束してから、ホームの端に黄色い点字ブロックを敷設することが普及し、鉄道に限らず、広く公共の場所に点字ブロックの普及が広まりました。
 
 そして、これは日本発のバリアフリー施設として全世界に普及しつつあります。

 私は、ここ岡山の「点字ブロック発祥の地」記念碑の意義を改めて考えたいと思います。

  
<参考>
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sptnet/21117407/
http://ubq-brl.at.webry.info/200902/article_3.html





<3つの記念碑の文字>


右: 『 点字ブロック発祥の地 』

中: 『 点字ブロック発祥の地

  暗礁を恐れぬ 希望の眼となれ

  ここから世界へ  ここから未来へ

   当時の点字ブロック 』

左: 『 点字ブロック完成の歴史 − 誕生から完成まで34年 −

   
1961(昭和36)年頃、岡山市で自営業を営む三宅精一は、ある日「交差点で白い杖を持った目の不自由な人が車道を横断する姿に目を留めた時、横を車が勢いよく走り去った」という危険な場面に遭遇した。
以後、「視覚障害者の安全歩行」の課題が頭の中を占めるようになる。
当時の社会福祉法人日本ライトハウス(視覚障害者の自立を支援する全国組織)岩橋英行理事長との出会いを契機として、「人間としての自立」、そのための「単独安全歩行を可能にするシステム」を日本全国へ展開する意思を固めた。
名称を「点字ブロック」と名付け、地元ユーザーの意見を聴きながらコンクリートブロックの表面に突起物を配列させ、その形状・配列・数・寸法など多種多様の試作を繰り返した。
 1967(昭和42)年3月18日、当時、岡山県立岡山盲学校の生徒が登・下校の際利用していたここ旧国道2号線(現在地)の横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設され、完工渡り初め式が行われた。
それは日本初、また世界初の記念すべきことであった。
 同年、誕生間もない点字ブロックは、世界盲人福祉協議会実行委員会に出席した岩橋氏により世界各国の専門家に紹介され多くの賞賛の言葉をもらう。
 しかし当時、高度成長の真っ直中にあり障害者を社会的に援助する土壌が未成熟だった日本では、その普及活動は困難を極めた。 
 1970(昭和45)年、旧国鉄が、大阪府我孫子町駅にプラットホーム第1号の点字ブロックを敷設して希望の灯が見え始めた。
同年、東京都が高田馬場周辺に点字ブロック敷設を中心とした整備を行うことを決定して地方都市へ連鎖的に広がっていくこととなる。
1973(昭和48)年の石油ショックで高度経済成長に一気にブレーキがかかり、福祉型の低経済成長へという価値観の転換がさらに救いの神となる。
 2001(平成13)年、点字ブロックのJIS化が実現する。誕生から完成に至る歴史は、日本の福祉理念の変遷期とも重なり、実に34年の歳月を要する偉業であった。 』

   



追記:

ここ原尾島の交差点には、エスコートゾーンの旧型(30センチ幅)と、


画像




新型(45センチ幅)の2種類がありました。



画像




(参考)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~sptnet/14019894/
http://ubq-brl.at.webry.info/theme/2f7eed6851.html


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

岡山市の「点字ブロック発祥の地」記念碑に触れて来ました 長谷川貞夫の視覚障害とユビキタス情報バリアフリー/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる